巨匠 黒澤明監督「生きる」1952のリメイク映画です。脚本をノーベル賞作家 カズオ・イシグロが担っています。カズオ・イシグロは子供の頃,この映画に衝撃を受け,そのメッセージに影響されて生きてきたと言います。
イギリス映画でリメイクです
あまりにも有名な黒澤映画でありますが,私はその作品は見ておりません。がしかし,ラストの場面だけは知っていました。まあ知識の中だけの映画でありました。
その作品がイギリス映画でリメイクされました。しかもノーベル賞作家のカズオ・イシグロが脚本です。これは是非とも観ずに入られない。私は封切り初日に観にいきました。
1953年のロンドンが舞台です。何故に1953年?と思いましたが,黒澤明監督「生きる」が1952年の作品なんですよね。
イギリス紳士は渋い
それにしても,イギリス紳士ってどうしてこんなに渋いのでしょうね。
定年退職前の市役所職員ですから,私とそう年齢は違っていないはずです。
一体私と何が違うというのでしょうか。
映画の最後の方に本人が言います。「子供の頃,将来紳士になりたかった。」「ハットをかぶって電車に乗るんだ。」
私が小さいときに,そんなこと考えもしなかったです。
ウイリアムズ(主人公)は、彼が願ったとおりの大人になりました。
そうありたいと努力し続けた結果なのでしょうか。
それにしても渋いです。
でも彼はずっと空虚さを抱えて生きていたようです。
余命半年と言われたならば
余命半年,私がそう言われたならば,どうするでしょうか。
体が動くうちに,やり残した頃をしようとするでしょうか。
できるだけ家族とともに過ごし,会いたい人に会おうとするでしょうか。
ウイリアムズは,病気のことを家族に伝えることができませんでした。
ハンガーに掛けられた服を相手に,言う練習までしたというのに。
仕事をさぼって保養地へ行く。
酒場を飲み歩く。
今までしてこなかったことをやってみる。
それでも満たされることのない心。
生きている実感を感じられる元同僚の若い女性。
彼は彼女に,自分の病気と,自分の心を打ち明けます。
結局病気のことを知っていたのは,この女性一人だけでした。
そして2ヶ月の放浪の末,職場に復帰します。それにしても2ヶ月の無断欠勤(おそらく)が許される職場って何なのでしょうか。1953年当時のイギリスの市役所はそうだったのでしょうか。
ちょっとうらやましい・・・
最後に選んだことは
彼が自分の人生の最後に選んだのは,「公園を整備する」ことでした。
義務感でもありません。名声のためでもありません。感謝のためでもありません。
「自分がやろうと思ったことをやり抜く」,ただそれだけのためだったように感じます。
そのことは,結果として大きな感謝を得ることになりますが,それが目的でなかったことは間違いないでしょう。
最後に若い巡査が言いました。
「あんまり幸せそうだったので・・・」
そう,ウイリアムズは幸せだったのです。
うらやましいと思いました。
私も最後は,幸せに包まれて,笑いながら死にたいと思いました。
私にとって,そのような幸せって何なのでしょうね。
P.S それでも自分の人生,そんなに悔いはないんだよな。