このブログでよく使われている写真のネコがクロです。15歳を超えるお年を召したメスネコです。狩りの上手なネコでした。最近めっきり動かなくなってきました。今日はクロについてお話しさせてください。
クロとの出会い
初めてクロと出会ったのは15年前の9月頃。我が家の庭の木の下でよく涼んでおりました。家族の誰もが飼う気がなかったので,見た目通りの「クロ」と呼んでおりました。もしも飼う気が少しでもあったなら,もっと小洒落た名前をつけたことでしょう。
食べ物をやるわけでもなく,ただ木の下で過ごすことを黙認していただけです。しばらくそこに居着いていましたが,3週間ほどたった頃,どこかへ行ってしまいました。
「いっちょも食べ物くれんけん諦めたんかな?」「誰か優しい人に飼われたんかな?」妻とそのように話をしておりました。やがてそのネコの存在も忘れかけた頃・・・
クロ リターン
11月も終わろうとする頃,クロが再び庭の木の下に戻ってきました。誰にも飼ってもらえなかったのでしょう。食べ物にもあまりありつけなかったのでしょう。一目で分かる衰弱ぶりでした。それでも食べ物をあげようとはしなかった私たち。はっきり言って「鬼」ですね。
歩いて5分のところに住んでいた母が,「可哀想なけん,こうたりだ。(飼ってやりだ)」と言いました。その一言がクロの命を救いました。一番喜んだのは父でした。
初めてやったクロの餌が「凍った太刀魚の骨」でした。元々堅い太刀魚の骨を凍らせていたのですから,はっきり言って食べられたものではありません。がしかし,クロはバリバリ言って食べました。よっぽど飢えていたのですね。しかし母はなぜ「凍った太刀魚の骨」など持っていたのでしょうか。謎であります。
若かりし頃のクロ
きれいなネコでした。そして狩りの上手なネコでした。さすがは元野良猫です。たいしたものでありました。元々我が家は田んぼの中の一軒家で,ネズミ屋敷です。クロが来る直前は,夜中にネズミが部屋の真ん中を走り回るという悲惨な状態でした。部屋の隅なら分かります,真ん中ですよ。怒りに燃えて踏み潰そうとしたぐらいです。
クロが来て以来,ネズミの気配を感じたことはありません。それはもうほとんど狩りをすることのなくなった今でもです。天敵とはよく言ったものであります。
毎日のようにスズメやネズミを持ってきてくれました。必ず見せてくれます。むちゃくちゃ褒めますが,困ったものでありました。
ちなみに鳩は一度だけ持って帰ってきましたが,好みの味ではなかったのでしょう。二度と持ち帰ることはありませんでした。モグラはよく持ってきましたが,これも食べることはありませんでした。
けんかに強かったクロ
我が家は田んぼの中の一軒家です(2回目)。この15年間で何度か他のネコがやってきました。が,その度に追い出しました。
低くうなって,気合いを入れて玄関を出て行くクロを何度か見送りました。尻尾を大きく膨らませ,低い姿勢で出て行くクロは,ちょっと(かなり)怖かったです。
がしかし,普段は妻と長女のおもちゃになっておりました。
そして今
クロは強度の便秘症です。3年ほど前,便秘のために死にかけました。あまりかっこよい病気ではありませんが,クロにとって命に関わる病気であることには違いありません。それ以来強い下剤を飲み続けています。
そのためあちこちをウンチで汚してしまうようになりました。2年ほど前から,家の中にいるときはオムツをするようになりました。腸炎が常態化しているため,腎臓にも影響が出ています。さて後どれくらい元気でいてくれることでしょう。
時間を大切にしたいです。
最後に
クロの命の恩人である母,そして飼うようになったとき一番喜んだ父。父は大のネコ好きだったそうです。
我が家から歩いて5分のところに住む父は,よくクロに会いに来ていました。クロがいないと,肩をがっくり落として帰って行く姿を,妻が何度も目撃したそうです。若い頃のクロはよく遠征に出ておりました。外でもけんかが強かったのでしょう。父はクロがいると庭に入ってきて,長いことクロと過ごしたそうです。
その父も今は亡く・・・
父が亡くなったときに母はクロに向かって言いました。「おまはんが先行くと思たのに,父ちゃんが先行ってもたわ。」 今だに我が家に残る名言であります。
その母も今は亡く・・・
文章にしてよかったです。忘れていたいろんな思いがよみがえってきました。