15年生きた先代ネコ「クロ」。長男が亡くなったのが12月14日。先代クロはその一週間後、12月21日に亡くなった。まるで長男の後を追うようだった。長男とクロをほぼ同時に亡くした我が家は、暗く沈んでいた。
我が家に笑顔がもどったのは、2代目の猫がやってきてくれたからだ。正確に言うと、私が小学校の正門前から拉致してきた(飼われていた形跡なし。れっきとした保護ネコである)。長男が亡くなって25日、先代が亡くなって18日目のことだった。我が家は「クロ」に救われた。
クロという名前
2代目ネコの名前は「クロ」である。ややこしいが、先代の名前も「クロ」である。お察しのとおり、先代も2代目もクロネコである。
先代の名前については単純明快だ。我が家の庭にいついたけれど、誰も飼う気がなかったので、見た目通り「クロ」と呼んだ。我が家のみんなも、歩いて5分のところに住んでいた私の両親もそう呼んでいたそうだ。飼う気が少しでもあったなら、もっと小洒落た名前になっていたことだろう。
誰も飼う気はなかったのだ。
それが諸事あって我が家で飼うようになった。当然名前は「クロ」になった。
先代の印象は強烈である。一緒に過ごした15年の歳月は大きい。ケンカの強い、狩の上手なネコだった。そして綺麗なネコだった。気品があると言っても良い。にもかかわらず、ちょっととぼけたところもあった。妻を筆頭に、随分と茶々を入れられたものだ。
先代が亡くなって18日後、私は2代目を連れ帰った。連れ帰るなり、玄関先で妻と長女を呼び、聞いた(宣言した)。
「こうてもええか。(飼ってもいいか)」
「「クロ」でええか。(名前は)」
そして2代目の名前も「クロ」になった。
2代目クロ
2代目は「いたいけな」と言う言葉がぴったりの猫であった。形容するならば「いじらしい」「可愛い」「守ってあげたい」猫である。先代の「たくましい」「美しい」「気品がある」の対極にあった。先代にはあれほど茶々を入れた妻が、2代目には全く茶々を入れなかった。
2代目が我が家に来た時は随分弱っていた。次の日動物病院で治療をしてもらった。薬と食事でみるみる元気になっていった。
2日間はホットカーペットの上に敷いた、ペットシーツの上でほとんど過ごした。3日目ぐらいからあちこちを歩き回るようになった。
5日目ぐらいだろうか。初めてリビングから出た。廊下を隔てた部屋に初めて入った時のクロを思い出す。リビングにいる私を確かめては、少しずつ部屋の奥に進んでいった。少し入ると、また私を確かめる。私が見ているのを確認すると安心するのだろうか、また奥へ行く。私を確認する。さらに奥へ行く。私を・・・
可愛かったなぁ。
食い意地の張っていたクロ
元気になってからは、とにかくよく食べた。やればやった分だけ食べた。先代「クロ」は結構食べ残しがあった。残さずに食べる量を与えるのに苦労したものだ。食べ残したものを後で食べることはほとんどなかった。
それを思うと、2代目クロはまず食べ残すことはなかった。たまに食べ残しがあっても、後でいつの間にかそれを全部食べていた。そもそも食べる時の勢いが違う。スプーンで食器に入れようとしたツナ(猫用)を、叩き落とされたことが何度かある。
本当におとなしい猫であったが、食べることに関してだけは、すごかった。野良猫時代あまり食べ物にありつけなかったのだろう。食べる勢いと速さは目を見張るものがあった。何年間そのような生活をしたのだろうか。どんな生活だったのだろうか。それを想像する時、悲しいものがある。
食事の準備をしているときに、キッチンに登って怒られることはあった。それ以外で2代目クロに困ったことはない。
猫白血病 発症
ある日突然食べなくなった。我が家に来て、ほぼ1ヶ月が過ぎたころ、昼前に食べたのを最後に全く食べなくなった。水をほんのわずか飲むだけである。
そしてコタツの中からほとんど動かなくなった。
動物病院の休みに重なったため、食べなくなってまる2日後に受診した。
腹部エコーを取る。血液検査を行う。診断名がおりた。
「猫白血病」である。余命はあと1週間ぐらいだそうだ。
こんなにいきなり発症するものなのか。こんなにいきなり弱ってしまうのか。
今コタツに座ってこれを書いている。ひざの上では「クロ」が眠っている。トレードマークの舌が少し出ている。妻はこれを「アッカンベー」とよんだ。私もそう呼んでいた。駄目だ。泣けてきた。
少し時間があく。
病院へ連れて行ってきた。栄養剤と、痛み止めの点滴を打つ。ちょっと落ち着いた。点滴について考える。痛み止めだけでいいのじゃないか。自分がクロならそうする。でも自分じゃないから、ドクターにお任せしよう。
長男、先代クロ、2代目クロと2ヶ月足らずの間に続いている。
死について考えた。自分の最後について考えた。これについては後日記すかも知れない。
かなり冷静になった。クロについて続ける。
どんどん若くなっていく 2代目クロ
初めて動物病院に連れて行ったとき、8歳くらいとのことだった。よくぞこの状態で8歳まで生き延びたものだと感心した。
次に連れて行った時、4歳くらいかも知れないとのことだった。理由は歯にある。右の犬歯(猫なのに犬歯とはこれいかに)の歯石の状態と、左とでは全く違っていた。私も見せてもらったが、なんでこれほど違うのか不思議なくらい違っていた。右で見た時は8歳くらいだったが、左で見た場合は4歳くらいなのだそうだ。当然若い方で判断する。クロは推定8歳から4歳になった。
3回目が今回である。「猫白血病」の発症年齢は2歳前後らしい。と言うことで、2歳くらいかも知れないと言うことになった。8歳、4歳、2歳、どんどん若くなっていく。
しかしそれなら合点がいく。いかに弱そうな2代目クロでも、2〜3歳なら生き延びる可能性はある。
我が家に来た時はそれはひどい状態だった。ノミ・シラミ・ダニだらけ。多量の目やにと鼻水。右後脚のひどい傷跡(治りかかっていたが、大きなかさぶたがあり、しばらく自分で剥いでいた)。右前脚は常に上げている。くしゃみも酷かった。
生きていくのにかなり苦労してきたことは間違いない。どのような8年間だったのか想像ができなかったけれど、2年なら解らないでもない。
抱っこは極端に嫌がる(と言いながら、何百メートルも抱っこされて我が家に来たんだよなぁ。どんな状況だったんだろうな。)。
がしかし、撫でられるのはとても好きだ。延々と「撫でぇ」と要求し続ける。それに応える方も応える方であるが、状況が状況であるから良しとする。
人間に撫でてもらうことなど、あまりなかったのかも知れない。
予定はたくさんあったんだ
最後に写真を撮ろうと思った(まだ最後じゃない)。
はっきり言って綺麗じゃない。拭いても拭いても、涎が出る。目やにも少し出ている。何よりも、毛刈りをして「バク」状態だ。
我が家にやってきた時には、結構悲惨な状態だったクロも、随分と良くなっていた。健康状態はかなり改善した。目やにも、鼻水もなくなった。2度にわたる駆除剤で、寄生虫や、ダニ・シラミもいなくなった。シラミの死骸がたくさんついているので、2回ほど風呂場で洗った。まだ結構残っていると言うことで、毛刈りをした。「バク」状態になってしまった。
最後の写真がこれじゃなぁ(最後じゃない)。
予定はたくさんあった。
来週には、ワクチンを打つ予定だった。
4月17日には避妊手術をする予定だった。
ずっと一緒にいる予定だった。
ずっとずっと一緒にいる予定だったんだ。
2つのことを想う
クロの「思い」について想う。今クロはどのように思っているのだろうか。今まで何年間か、かなりの苦労をしてきたはずである。
体がどんどん弱りつつある今、何を思うのだろうか。
・「最後の最後の40日間を幸せに生きられた。」
・「やっと幸せを手に入れた。その瞬間に発病した。」
どうなのだろう。しょせんこれも人間の想像に過ぎない。
随分前に何かで読んだことがある。ネコは「死」と言う概念がないのだそうだ。
「死期を察したネコは、誰もいないところへ行って死ぬ」と言われている。
本当は、
「弱った体を休めようとして、静かなところへ行って、休養している間に死んでしまうのだ。」
とその本は言っていた。
もしもネコに「死」の概念がないのだとしたら、
最後に幸せだったと思って逝ってくれるのだろうか。
そうであることを望む。
どちらにしても、私にできることは一つ。
「クロ」と一緒に過ごすこと。
最後の時を安らかに。