3月26日23時55分,クロが亡くなりました。
我が家にやってきたのが,1月8日。結構ボロボロの状態でした。その翌日,動物病院で診てもらい,その後順調に元気になっていきました。
12月に長男と,先代クロが立て続けに亡くなり,我が家は悲しみに沈んでおりました。
2代目クロのおかげで,我が家に笑顔が戻りました。我が家はクロに救われました。
クロが来た頃
我が家に来たときはそれはひどい状態でした。
体中ノミ,シラミだらけ,ダニまでいました。風邪を引いており,よくクシャミをしていました。目やにがいっぱい。鼻炎がひどく,豚の鳴き声のようにフゴフゴ言っていました。ずっと舌を出しっぱなしでした。右後ろ足に大きな傷跡がありました。治りかかっているもののかさぶたができていました。なぜか右前足はよくあげていたのを思い出します。
ホットカーペットの上にペットシーツを2枚引きました。最初の2日間はずっとその上にいました。一番最初の画像(アイキャッチ画像)がその時のクロです。ノミ・シラミ・ダニだらけだったので,ありがたかったです。賢いネコだったと思います。
年齢については諸説出ましたが,最終的に2〜3歳くらいだろうと言うことに落ち着きました。
やがて元気が出てきました。ほとんど手のかからない子でしたが,食い意地ははっておりました。
いつもちょっと出ている舌がチャームポイントでした。原因は前歯が全部なかったことによります。
「大人しい」「いたいけな」「可愛い」「守ってあげたい」そんな表現がぴったりのネコでした。
ネコ白血病発症以前の写真たちです。残念ながら,元気なときの写真は少ないです。その時は,それほど時間がないとは思いもしませんでした。
ネコ白血病発症
1月8日にやってきたクロは,どんどん元気になっていきました。キッチンカウンターの上に乗ったり,私の膝の上に乗ったり,ノートを書くのを邪魔したり・・・。
そう言えば先代ネコも,私が勉強したり,パソコンを打ったり,新聞を読んだりしていると,よくよくよく邪魔しに来ましたね。
これはネコの特性なんでしょうね。
爪とぎ器は使ってくれませんでした。これは先代ネコも同じです。先代は壁を削りました。2代目は私のズボンを爪とぎに使いました。おかげでジーパンが破けてしまいました。まあダメージジーンズとして味が出ましたけれどね。
クロも我が家になじんできて,結構楽しくなってきた頃でした。
2月11日の午前を最後にクロは食事をしなくなりました。大人しいネコでしたが,食い意地だけははっていたのですけれどね。
13日,腹部エコー,血液検査。
診断が出ます。
「ネコ白血病発症」
「余命おそらく1週間」
これはネコ白血病の診断を受けた頃の写真です(13日〜14日)。
悲しいかな毛刈りをしてバク状態になっています。2度にわたる寄生虫・ノミ・シラミ駆除剤によって,シラミたちは死滅しました。がしかし,その死骸たちがどんどん湧き上がってきます。一度妻と二人がかりでお風呂に入れました。洗濯ネットに入れて,ネコシャンプーで洗いました。
それでもシラミたちの死骸は浮き上がってきます。前回の病院受診で,死骸一掃のため,毛刈りをしました。そしてもう一度お風呂で洗うことになりました。雨の寒い日が続きましたので,天気の良い日に洗うつもりでありました。
がしかし,その日は2度と来ませんでした。
天気が良くなり,さあ洗おうかという日の前日に,クロが食べなくなってしまったのです。
一時クロの体調は回復する
14日,2階から,クロの居る1階のリビングに布団を降ろしてきました。以来クロが亡くなるまで,誰かが一緒に寝るようになりました。
点滴が効いたのでしょう。16日夜ぐらいから,食べる量が増え,少し動けるようになっていきました。
2月22日のクロの様子です。布団の上でくつろいでいます。
2枚目は,映画ゴジラ(1954年の初代ゴジラです)を真剣に見ているクロです。これにはちょっと笑ってしまいました。ゴジラよりもクロを見ている方が面白かったです。
クロの体調はどんどん良くなっていきました。毎日だった点滴の間隔が,2日ごとになり(これはよくなかったのです。毎日だとクロに負担がかかるので,一日おきにしましょうと言うことでありました。),3日ごとになり,4日ごとになりました。
3月9日の治療の時です。
「いいです。次は1週間後にしましょう。安定しています。」
ドクターは言いました。
私はおそるおそるドクターに質問しました。
「クロは長生きできるかもしれないのですか。」
ドクターは答えます。
「その可能性はゼロではありません。」
「安定して,何年も生きた例はあります。」
私はこぼれようとする涙を押さえました。
3月16日頃までの写真です。
安心した私は念願だった鳥取旅行に出かけました。
16日の受診は妻が連れて行きました。Dr.から「次は2週間後にしましょう」と提案されたそうです。最終的に「念のため今回は1週間後にしましょう」と言うことになったそうです。その時には避妊手術の話にまでなったそうです。
再び 容態が 悪化する
鳥取でこの報告を妻から聞いたとき,私は歓喜の声を上げました。
クロはあと何年か生きられると思えました。
17日に帰ってきたとき,クロに5時間ほど無視されました。
旅行帰りに無視されるのは,先代ネコの時にもありました。
ちょっと懐かしく思いだしたものです。
がしかし,よろこびはここまででした。
19日から少しずつ食欲が落ちていったクロは,20日のお昼を最後に何も口にしなくなりました。(少量の水を除いては)
体重はどんどん落ちていきます。最高時2.4kgにまで増えていた体重が,1.98kg,ついに2kgを切るようにまでなりました。
トイレと水を飲む以外は動くこともなくなりました。
点滴も毎日になりました。2週間後って言っていたのにね。白血病を発症した前回ですら,負担がかかるから一日おきと言っていたのにね。
クロの容態はどんどん悪くなっていきました。
3月22日の写真です。元気なときに撮っておけば・・・
悔やまれます。2代目クロはこんな写真ばかりです。
3月26日 23時55分
命あるクロの最後の写真になりました。26日19時過ぎです。
もう長くないと思いました。明日を迎えることは難しいと思いました。
最後の瞬間を看取ることができるでしょうか。
私たちが眠っている間に一人で逝ってしまうのではないのでしょうか。
それが気がかりでした。
妻と長女は2階に行きました。
「もしもの時は呼んでよ」と言い残して・・・
私はうつらうつらとしていたと思います。
眠っていたのかもしれません。
クロが起こしてくれたように思います。
どのように起こしてくれたのかを,今となっては思い出すことができません。
先代ネコは私を蹴って起こしてくれました。
クロはどうだったのでしょう。
とにかくも,亡くなる瞬間を看取ることができました。
大きな痙攣をすることも亡く,静かに息を引き取っていきました。
26日 23:55のことでした。
亡くなる瞬間って分かるものなのですね。
そう言えば,父が亡くなる瞬間も,母が亡くなる瞬間も,先代ネコ(クロという名前でした)が亡くなる瞬間も立ちあうことができました。そして今この瞬間に亡くなろうとしていることを,感じることができました。
父・母の時には,枕元のブザーを押して,看護師さんを呼びました。
翌日27日午後,荼毘に付される直前です。
この時は「あっかんべー」ではなかったのですね。舌の出ていない珍しい写真です。
言葉が ・・・・・
ありがとうクロ。
あなたのおかげで私たちは救われました。
お礼の言葉を綴ろうと思いました。
でもだめです。
もっと一緒に居て欲しかった・・・
言葉が ・・・・・